
院長:橋本お気軽にご相談ください!


皆さん、おはようございます。
「1年で、10年後も動ける体をつくる整体師」
整体整骨院SARAの橋本です。
今日も暑いですね。
先日、ふと考えたことがあります。
「自分は、どうしてこの仕事をしているんだろう」
整骨院や鍼灸院で働く先生の中には、学生時代にスポーツでけがをして、整骨院や病院のリハビリに通った経験から、この仕事を目指した方がたくさんいます。
捻挫や骨折を経験し、先生に支えてもらいながら競技へ復帰できた。
その経験がきっかけになっているのです。
でも、僕には大きなけがをした経験がありません。
では、なぜ僕はこの仕事を選んだのか。
あらためて振り返ると、そこには1人の患者さんとの出会いがありました。
僕は広島県の工業高校で、建築を学んでいました。
学校の先輩には、広島東洋カープの新井監督や、元東京ヤクルトスワローズ監督の高津臣吾さんがいます。
当時の僕は、建築の仕事に憧れていました。
親戚が大林組で現場監督をしており、その姿がとてもかっこよく見えたのです。
建物を建てれば、自分がつくったものが形として残ります。
何十年後も、
「これは自分が関わった建物なんだ」
と誇れる仕事です。
僕も建築士になり、自分の仕事を後世に残したいと思っていました。
ところが、就職試験に落ちました。
これが、僕にとって初めての大きな挫折だったと思います。
目指していた道が突然なくなり、何をすればいいのか分からなくなりました。
「もうフリーターでもいいかな」
そんなことまで考えていました。
その時、父から言われました。
「スポーツトレーナーの学校に、知り合いの校長先生がおる。行ってみたらどうや」
それが、現在の仕事につながる最初の一歩でした。
僕は2年間、広島から約40キロ離れた大竹市にあるスポーツトレーナーの学校へ通いました。
正直に言うと、勉強した内容はあまり覚えていません。
友人にも恵まれ、楽しい思い出の方が多く残っています。
そんな学生生活の中で、経営学を教える特別講師が大阪から来られました。
その先生が、後に僕が最初に勤めることになる整骨院の院長でした。
「大阪へ1週間、研修に来てみなさい」
そう声をかけていただき、僕は大阪の整骨院で見学と研修をさせてもらうことになりました。
研修中、そこで働いていた先生たちからは何度も言われました。
「ここに就職するのはやめとき」
「労働時間も長いし、給料も安いで」
実際、当時の手取りは月に3万円ほどでした。
今考えると、本当に厳しい環境です。
しかし、その時の僕は内情をよく分かっていませんでした。
それよりも、ある患者さんとの出会いに心を動かされていたのです。
その方は高田さんという男性でした。
奥様と一緒に来院されており、僕の亡くなった祖父にとてもよく似ていました。
僕が広島出身だと知ると、毎日のように広島の話をしてくださいました。
「橋本君、明日もおるの?」
「はい、明日もいますよ」
「ほんなら、私も明日また来るわ」
そう言って、研修中の1週間、毎日会いに来てくださいました。
そして研修最終日、高田さんが僕に言ってくれたのです。
「橋本君のような先生が来てくれたら、生きがいになるわ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなりました。
人に必要とされる仕事。
人から「会いたい」と思ってもらえる仕事。
誰かの生きがいにまでなれる仕事。
「この仕事って、すごくいい仕事なんやな」
そう思いました。
僕が大阪へ出て、整骨院の仕事を始めようと決めたのは、高田さんの言葉があったからです。
あの一言がなければ、今の僕はいなかったかもしれません。
2000年3月、僕は大阪へ出てきました。
高田さんは、その後もしばらく元気に通院されていました。
ところが、ある日突然、右の股関節がひどく痛むと言い始めました。
「転んだんですか?」
そう尋ねると、
「いや、転んではいないんやけどな」
と答えられました。
転んでいないのに、急に股関節が強く痛む。
僕は、単なる筋肉や関節の問題ではないかもしれないと感じました。
「一度、大きな病院で診てもらえませんか」
そうお伝えし、検査を受けてもらいました。
そこで見つかったのが、肝臓がんでした。
さらに、そのがんが右の股関節付近の骨へ転移し、骨折しかけている状態だったのです。
結果を聞いた時、言葉が出ませんでした。
いつも笑って広島の話をしてくれていた高田さんの体の中で、病気が進行していたのです。
高田さんは、そのまま大きな病院へ入院されました。
僕も何度もお見舞いに行きました。
「早く元気になりましょうね」
そう声をかけていましたが、病気は少しずつ進行していきました。
肝臓の状態が悪くなるにつれて、足は大きくむくみ始めました。
皮膚が張りつめ、浸出液がにじみ出るほどでした。
吸水パッドを何重にも巻いて処置をしなければならない状態でした。
そして体の水分が失われていくと、顔つきまで大きく変わっていきました。
僕が知っている、元気でよく笑う高田さんの姿とは、少しずつ変わっていきました。
それでも高田さんは、残っている力を振り絞るように、僕に言ってくれました。
「先生に会えてよかったわ」
その言葉は、今でも忘れられません。
高田さんは、その後亡くなられました。
高田さんとの出会いから、僕はとても大切なことを学びました。
体の痛みは、筋肉や関節の問題だけで起きるとは限りません。
時には、内科的な病気や重い疾患が隠れていることがあります。
腰が痛い。
股関節が痛い。
足がしびれる。
その症状だけを見て、単純に「筋肉が硬いから」「骨格が歪んでいるから」と判断してはいけません。
患者さんの表情や体調の変化、痛みの出方、これまでの経過まで含めて、体全体を見なければならない。
必要であれば、すぐに医療機関へつなぐ。
高田さんとの経験が、今の僕の施術や考え方の土台になっています。
僕がこの仕事を選んだきっかけは、自分がけがをした経験ではありません。
1人の患者さんがかけてくれた言葉でした。
「橋本君のような先生が来てくれたら、生きがいになるわ」
あの時は、まだ知識も技術もありませんでした。
ただ話を聞いて、そばにいただけです。
それでも高田さんは、僕を必要としてくれました。
人のために何かができる。
誰かが元気になる姿を近くで見られる。
時には、人生の大切な場面に関わらせてもらう。
僕は、本当にいい仕事を選んだと思っています。
整体師になって長い年月が経ちましたが、今でも迷った時には高田さんの言葉を思い出します。
僕が目指しているのは、ただ痛みを軽くすることではありません。
患者さんがその人らしい生活を続けられるように支えること。
そして、10年後も自分の足で歩き、やりたいことを楽しめる体を一緒につくることです。
高田さん。
この仕事に出会わせてくださり、本当にありがとうございました。
これからも、目の前の患者さんを大切にしながら、この仕事を続けていきます。